姉のエルスペット(Elspet、1875-1956)は劇作家[2]。1906年にジャーナリストのロバートソン・スコット(John William Robertson Scott, 1866-1962)と結婚し、夫ともに1915年に来日し4年半滞在、妹のエリザベスとともにアジア各地を旅し、共著で『Old Korea』を出版した[3]。
姉の夫のロバートソン・スコットは英国カンバーランドの生まれ[4]。両親はスコットランド低地地方出身で、父親は行商人で禁酒運動の勧誘員をしていた[4][5]。いくつかの雑誌記者を経たのち、農村研究を名目に1915年に来日、1916年3月に駐日英国大使ウィリアム・カニンガム・グリーンの要請で反独親英宣伝のためのプロパガンダ要員となり、宣伝パンフレット『日本、英国及世界』や、ドイツの戦争犯罪を扇情的な挿絵とともにふんだんに書き立てた日英二か国語の『The Ignoble Warrior(邦題・是れでも武士か: 欧州戦争の原因及び行動に関する研究資料の集録)』(1916)を丸善から刊行、英国の資金援助により翌1917年には日英語併記の月刊誌『The New East(新東洋)』を創刊した[6][7]。邦訳「是れでも武士か」を担当した友人の柳田国男とは日本各地の農村を調査し、1919年に帰国したのち、柳田との旅をもとに『The Foundation of Japan』(1922年刊)を執筆した[8][7]。同年、イギリス婦人会(en:Women's Institutes)の活動にも関わったが、翌1923年にコッツウォルズに転居して田舎暮らしの雑誌『カントリーマン(en:The Countryman)』を創刊、1947年まで編集に携わった。過去の活動からコンパニオンズ・オブ・オナー勲章を受勲。
^ abcBritain and Japan: Biographical Portraits, 第 6 巻, Global Oriental, 2007/05/31, p285
^"Yanagita Kunio and the Folklore Movement (RLE Folklore): The Search for Japan's National Character and Distinctiveness"Ronald A. Morse, Routledge, 2015, 巻末注24
^"Yanagita Kunio and the Folklore Movement (RLE Folklore): The Search for Japan's National Character and Distinctiveness"Ronald A. Morse, Routledge, 2015