エドワード・ヨードン(2008年撮影)
エドワード・ヨードン (Edward Nash Yourdon , 1944年 4月30日 - 2016年 1月20日 )はアメリカ合衆国 のコンピュータ・コンサルタント 、作家 、講師 。構造化プログラミング におけるソフトウェア開発手法の先駆者として知られ、コンピュータ関連コンサルティング会社、NODRUOY Inc.のCEO も務める。
略歴
マサチューセッツ工科大学 を卒業し、1965年 に理数学士を取得している。1967年 から今まで550以上の技術記事を書き、また著者/共著として27冊の著書がある。
1970年代のソフトウェアの構造化システム分析及び設計手法(Structured Systems Analysis and Design Method:SSADM )の分野におけるさきがけ的な存在である。彼はプロジェクト管理 、ソフトウェア工学 手法、そしてWeb 2.0 の開発分野における専門家として国際的に有名である。
1970年代における構造化分析・設計手法の先駆者として、またオブジェクト指向分析・設計手法 のヨードン・ホワイトヘッド手法、そして有名なコード ・ヨードンオブジェクト指向メソッド の共同開発者として1980年代後半から1990年代にかけて広く知られている。
雑誌"American Programmer magazine"を主宰(今は"Cutter IT Journal"というタイトルになっている)。『ソフトウェア管理の落とし穴』(原題:"Decline and Fall of the American Programmer")はベストセラーとなった。
また、コンピュータ業界におけるデスマーチ という概念を著書により定義した人物としても知られる。
1997年 6月、彼はチャールズ・バベッジ 、シーモア・クレイ 、ジェームズ・マーティン (en ) 、グレース・ホッパー 、ジェラルド・ワインバーグ 、ビル・ゲイツ とともにコンピューター殿堂 入りした。[要出典 ]
1999年 12月に"The Journal of Defense Software Engineering"の対談記事において、ソフトウェア分野における著名な功績のある10人のうちの1人に選ばれた。
1990年代の後期、彼は2000年問題 は文明の破綻、または少なくとも景気の停滞や技術分野へ広範囲における影響を引き起こすと主張する主要な論客の一人であった。この問題について啓蒙するため (そして来るべき危機に備えるためのアドバイスとして) 数冊の本と、少なくとも1本のビデオを出している。しかしながら彼の現在のウェブサイト にはこのことについてほとんど書かれていない。彼の予言として書かれた "Time Bomb 2000" (Prentice Hall PTR) はベストセラーとなった。
著書
外部リンク