ウルケシュを、「Ur-Kesed」(「kesed」はカルデア(新バビロニア)を表す)と分解し、旧約聖書に登場する「カルデアのウル」(Ur of the Chaldees)と結びつける説もあるが、これは主流の説とは違うことは述べておく必要がある。ウルケシュを「カルデアのウル」と結びつける近代の研究成果はなく、カルデア王国はメソポタミアの最南部にあり全く離れている。現在では「カルデアのウル」はウルのことと考えられている。
発掘
テル・モザンの遺丘の発掘は、20世紀前半のイギリスの考古学者マックス・マローワン卿(Sir Max Mallowan)が1930年代に開始した。マローワンの妻だったこともある推理小説作家アガサ・クリスティは、マローワンたちがこの遺跡が古代ローマのものと考え、発掘を続けるのをやめたと書いている。後年の発掘結果ではローマ時代の居住跡は発見されていないが、マローワンは南にあるチャガル・バザールの発掘に移った。
Urkesh and the Hurrians: Studies in Honor of Lloyd Cotsen. Bibliotheca Mesopotamica 26/ Urkesh/ Mozan Studies 3. Malibu, CA: Undena Publications, 1998.
Buccellati, G. and S. Bonetti. 2003. "Conservation at the core of archaeological strategy. The case of ancient Urkesh at Tell Mozan." The Getty Conservation Institute Newsletter 18(1):18-21.