イラリオン [ 注釈 1] [ 注釈 2] (修道誓願前の姓:アルフェエフ、ロシア語 : Иларион (Алфе́ев) , 英語 : Hilarion (Alfeyev) 、1966年 7月24日 - )は、ロシア正教会 の府主教 。渉外局長・モスクワ教区副主教・ヴォロコラムスクの府主教。聖職者 であり、神学者 であり、歴史学 者であり、作曲家 である。
経歴
ポーランド正教会 のイェレミアシュ大主教とともに。府主教 位を示す白いクロブーク を被っている。
1966年 7月24日 、モスクワ に生まれる。モスクワ音楽学校ほかでヴァイオリン ・ピアノ ・作曲 等の音楽教育を受けた。1984年 から1986年 まで兵役 につき、その任務を終えてから、1987年 1月、ヴィリニュス の聖神 修道院 で修道士 となる。同年6月21日に輔祭 に叙聖 され、同年8月19日に司祭 に叙聖された。その後、1989年 にモスクワ神学校を卒業、1991年 にモスクワ神学大学 を卒業。
1991年 から1993年 まで、教義神学、新約研究、ビザンツ帝国 時代のギリシャ語 を、モスクワの諸神学校で教えた。1995年 には博士論文である「新神学者シメオン と正教会の伝統」を、カリストス・ウェア 主教(肩書き当時)の指導下にオックスフォード大学 にて書き上げた。
1995年 から2001年 まで、ロシア正教会 渉外局キリスト教関係部書記を務める。1998年 には世界教会協議会 に対する正教会の関与のあり方に関連した「エキュメニカル運動 に関する諸問題を討議する正教会間会合」に出席した[ 1] 。
2001年 12月27日には主教 に叙聖。2003年 5月7日にはウィーン およびオーストリア の主教[ 注釈 3] に着座した。
2009年 3月31日 、モスクワ総主教 キリル1世 による人事刷新により、ロシア正教会渉外局長・モスクワ教区副主教・ヴォロコラムスクの主教に着任する事が発表された[ 2] 。
2009年 4月20日 (光明週間 月曜日)に、ヴォロコラムスク の大主教 に昇叙。2010年 2月1日のキリル1世総主教着座1周年記念の聖体礼儀 において、府主教 に昇叙された[ 3] 。
2022年 2月 のロシアによるウクライナ侵攻 に対する沈黙を理由として、スイスのフリブール大学 での教職の立場を停止させられている[ 4] [ 5] 。
作曲家として
初期の世俗曲の他、「混声合唱のための聖体礼儀 」(2006年 )、「徹夜祷 (晩祷 )」(2006年)といった正教会 の奉神礼 のための作曲がある。正教会の聖歌は無伴奏声楽である事が基本的原則であるため、これらの作曲は全て無伴奏声楽である。
また、「オーケストラと合唱と独唱者のためのマトフェイ受難曲 (Страсти по Матфею )」(2006年)、「少年合唱・混声合唱と大オーケストラのための降誕祭 オラトリオ (Рождественской оратории )」(2007年 )といった、奉神礼以外の場における宗教曲 も作曲している。これらは奉神礼の場で用いるものではなく演奏会用なので、楽器も用いられている。
脚注
注釈
^ 名前について英語表記から「ヒラリオンと転写されるケースがあるが、ロシア語でこのように表記・発音する事は無い("ロシア語 : Иларион "をラテン文字 転写すると"Ilarion")。
^ (他教派 でも同様の習慣を有するものがあるが)正教会 においてヴァルソロメオス1世 (コンスタンディヌーポリ総主教) やキリル1世 (モスクワ総主教) にも見られる通り、主教 の名は修道名 で呼ばれる事が原則であり、姓 は同名の人物の区別の為などに初出箇所等において用いられるのみである。従って「アルフェエフ府主教」「アルフェエフ」という表記はあまり適切ではない。フルネームを用いない場合には「イラリオン府主教(英語 : Metropolitan Hilarion )」が標準的な表記となる。
^ 正教会 の主教は、管轄する都市名と地域名の両方をタイトルとして与えられる事が一般的であり、両者を「および」で結ぶのは日本正教会 における定訳である。
出典
著作
出版された著作はロシア語 のみならず、英語 ・フランス語 ・イタリア語 ・ドイツ語 ・フィンランド語 ・セルビア語 など多言語 にわたった版が存在し、日本正教会 の信徒(ニコライ高松光一)によって日本語 にも翻訳 されている。
日本語訳された著作
外部リンク