この項目には
性的な表現や記述 が含まれます。
免責事項 もお読みください。
イノマー (本名:猪股 昌也 (いのまた まさや)、1966年 11月27日 - 2019年 12月19日 )は、日本 のロック・バンド 、オナニーマシーン のボーカル 兼ベース 担当。元オリコン 編集者。特殊分泌家[ 1] 。東京都 北区 出身。享年53歳。
来歴
編集者時代
駒澤大学 法学部 卒業後、オリコン に入社。『オリコン・ウィーク The Ichiban』(後の『オリ★スタ 』)の編集長に29歳の若さで就任。その後、紙面ではサブカルチャー 、あるいはマニアックでエロかつ下品な文体・内容に満ちたコーナー等を担当。長らく読者ページも担当し、投稿者とのキャッチボールも人気となる[ 2] 。紙面において裸体を晒したなどで副編集長に降格。その後も昇進・降格を経験し、最終的には副編集長。音楽雑誌らしくない、その毒に満ちた個性的な記事はオリコンの顔でもあった。オリコン在籍時からラジオ番組などに出演し、他社の出版物である『インディーズ・マガジン』(当時リットーミュージック 発行)にも寄稿。ザ・ブルーハーツ のベスト盤 『EAST WEST SIDE STORY 』やGOING STEADY のシングル『童貞ソー・ヤング 』のライナーノーツ なども担当した[ 3] 。長らく猪股を庇い、可愛がっていた小池聰行 が死去した2001年 に独立。しばらくオリコンに寄稿するも、誌面リニューアルに伴い疎遠になる。その後は編集・執筆活動と共に、バンド活動をメインとする。
AV 鑑賞とオナニー が趣味。結婚 を2度経験するが、いずれも妻に浮気され離婚 。その後は独身であった。音楽・お笑い 関係の飲み友達が多く、その交友関係は広かった。オリコン編集者時代に見出した音楽家は峯田和伸 、氣志團 、ガガガSP 、サンボマスター など[ 4] 。またブレイク前から江頭2:50 を評価し、連載コラムを任せるなど後述の闘病以降も関係性が続いた。
バンド活動
オリコン編集者時代から活動していたロック・バンド「オナニーマシーン」が2002年にインディーズ でCDデビュー。2003年にサンボマスターとのスプリット・アルバム 『放課後の性春 』でSony Music Records からメジャー・デビュー 。この時期には「青春パンクロックの立役者」「童貞のカリスマ」などと呼ばれた。バンド活動の詳細はオナニーマシーン#略歴 も参照。
2005年 にはソフト・オン・デマンド (SODクリエイト )よりAV監督 デビュー(タイトルは『素人お嬢さんに色々わがまま言ってオナニーさせてもらいました 〈下北沢編〉 オナニーマシーン、イノマー狂い咲きオナニー・ロード』)。常日頃から原稿のネタにしていたAVの中でもソフト・オン・デマンドの大ファンを公言しており、同社よりAV監督デビューのオファーがあったという。その後は監督を務めていないが、2004年クリスマス・イブに行われたライブの来場者プレゼントDVD(イノマーと峯田和伸の対談・演奏)をSODで作成したり、オナニーマシーン初のDVD『裸の大将〜野に咲くバカのように〜』のパッケージデザインをSODの関連会社・SODアートワークスが手がけるなど、交流は続いていた。
闘病
2018年7月21日に口腔底癌 で、余命3年と宣告されたことを公表した[ 5] 。同年8月25日に急遽『=手術直前SPお医者さんには内緒でね=「緊急真昼無料!ティッシュタイム~“イノマー現形態”ラスト・ライブ」』を東京・渋谷ラママ で開催。手術前に受けた担当医の説明では、舌の2/3を切除[ 6] と言われていたが術後、目が覚めたら全部切除されていた。2019年7月に口腔底癌が転移 し、再発したことを公表した[ 7] 。
癌の進行がステージ4と宣告されて以降、初となるオナニーマシーンの定期ライブ『ティッシュタイム』を拡大版『ティッシュタイム・フェスティバル~大感謝祭~』として2019年10月22日豊洲PITで開催[ 8] 。オナニーマシーンとして大トリを務め、言葉にならない声でアンコールまで歌い上げた。
2019年12月19日2時50分、都内の病院で身内に看取られ永眠[ 9] 。53歳没。戒名は「性春昌幸信士」(せいしゅんしょうこうしんじ)である[ 10] 。通夜と葬儀は近親者のみで執り行われた。
没後
イノマーの没後、テレビ東京系 のテレビ番組「家、ついて行ってイイですか? 」(2020年3月18日放送)でイノマーと事実婚関係にあった、葬儀を終えたばかりの夫人が番組の取材に応じ、夫との出会いや闘病生活の様子などについて語った[ 11] 。2021年1月6日には一周忌 法要の模様などが放送され、この回がギャラクシー賞 のテレビ部門1月度月間賞を受賞するなど大きな反響を呼んだ[ 12] 。この放送は学校の命についての教材として使われたこともある。上記番組とは別に、闘病中から死の瞬間までカメラが回っていたのは、バンドマンとして親交があったテレビ東京ディレクター(当時)・上出遼平 が放送される見込みのないままも密着していたため。この詳細は上出の著書『ハイパーハードボイルドグルメリポート』(朝日新聞出版 )にも綴られている[ 13] 。この
2022年 7月16日 、東京ガーデンシアター にて、「イノマーロックフェスティバル」が開催された[ 14] 。
著書
「ドーテー島」たかだ書房 2002
「イノマー&ミネタの 真夜中のふたりごと」(ミネタ との共著) 宝島社 2002
「恋のチンチンマンマン」たかだ書房 2004
「ふたりごと」(ミネタとの共著)たかだ書房 2005
「BAKA IS NOT DEAD!! イノマーGAN日記 2018-2019」 国書刊行会 2022
脚注
出典
関連項目
外部リンク