アムステルダム でのライヴにて(2006年)
イアン・スティーヴン・マッカロク (Ian Stephen McCulloch、1959年 5月5日 - )は、イギリス ・リヴァプール 出身のミュージシャン 。ロックバンドエコー&ザ・バニーメン のボーカリスト として知られる。ソロのシンガーソングライター としても活躍。
「Q誌 の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第83位[ 1] 。
経歴
クルーシャル・スリー としての活動を1977年 に開始。ティアドロップ・エクスプローズ のジュリアン・コープ なども在籍していたが翌年9月に解散。
10月にギタリストのウィル・サージェント、ベーシストのレス・パティンソンらとともにエコー&ザ・バニーメン を結成。当初ドラマーはおらず、Echoと名付けられたドラムマシーンを使用していたが、1979年 10月にピート・デ・フレイタスをドラマーとして募り、翌1980年 7月に1stアルバム『クロコダイルズ』でデビューを果たす。
1988年 にエコー&ザ・バニーメンを脱退。ソロアーティストとして活動を開始。翌1989年 9月に1stソロアルバム『キャンドルランド』を発売。全英18位を記録。1992年3月に2ndソロ『ミステリオ』を発売。全英46位。
1994年 にウィル・サージェントらと新バンドエレクトラフィクション を結成。翌年9月に唯一のアルバム『バーンド』をリリースし、全英38位を記録。1996年 に解散。
1997年 にエコー&ザ・バニーメンの活動を再開。同年7月にアルバム『エヴァーグリーン』を発売。現在まで活動を継続させており、2009年 に11枚目のアルバム『ザ・ファウンテイン』を発売。
2017年 4月14日、日本公演を行う予定が「『米国と北朝鮮が武力衝突する』というニュースを聴き、マネージャーと共に無許可で日本を出国」したため中止となった[ 2] 。
音楽的影響
ルー・リード 、イギー・ポップ 、ドアーズ 、スティーヴィー・ワンダー 、レナード・コーエン 、そしてとりわけデヴィッド・ボウイ などからの影響を公言。レナード・コーエンの曲「スザンヌ 」を「完璧な歌詞と完璧なメロディ」と賞賛している(2008年のコンピレーション・アルバム『Cohen Covered』でカバー[ 3] )。デヴィッド・ボウイに関してはかねてより噂されていた重病説を信じ込み、彼が亡くなるものだと思いMe and David Bowie と題されたトリビュートソングを書き上げたものの、2013年に突如活動再開しニューアルバムが発売されるなど、現役復帰のニュースを聞いた際には大変驚いたという[ 4] 。
私生活
1983年に結婚、二女を儲けるが2003年暮れに別居。
ディスコグラフィー
アルバム
キャンドルランド Candleland (1989年)
ミステリオ Mysterio (1992年)
スライドリング Slideling (2003年)
Pro Patria Mori (2012年)
シングル
参加作品
There's Only One Jimmy Grimble-No Substitute for Life (2000年)
脚注
関連項目
外部リンク