アーサー・ダニエル・ベリー(英: Arthur Daniel Berry、1872年8月7日 - 1941年2月11日)は、米国メソジスト監督教会宣教師、青山学院神学部の教授。A・D・ベリーと表記されることが多い。
略歴
アメリカ合衆国ニューヨーク州メキシコ(英語版)生まれ。1892年に地元のハイスクールを卒業したのち[1]、シラキュース大学とドルー神学校で学び、1899年に按手礼を受けた[2]。
1902年(明治35年)に来日し、福岡と門司で伝道したのち[2]1905年(明治38年)に青山学院の教員となり、組織神学・礼拝学・説教学を講じた[3]。3年後ジュリアス・ソーパーの後任の神学部長となり[1]、1931年(昭和6年)まで務めた[2]。1914年(大正3年)関西学院神学部と協力して学術雑誌『神学評論』を創刊[2]。翌年シラキュース大学から名誉博士号を授与された[1]。
1923年(大正12年)に院長代理を兼ね、関東大震災後の青山学院再建に尽力した[4]。1931年(昭和6年)に建てられた神学部校舎は彼の名にちなんで「ベリーホール」と命名された[5]。
学院外では離日するまで教文館の副館長を務めた[2]。
日米関係が日増しに悪化する中でも日本滞在を望んだが、妹の病のため1941年(昭和16年)1月に離日。妹は船中で死去し、彼もアメリカに帰国してまもなく病に倒れ、故郷ニューヨークの地で没した[3]。
脚注
- ^ a b c 『来日西洋人名事典』 417頁
- ^ a b c d e 『日本キリスト教歴史大事典』 1267頁
- ^ a b 『青山学院九十年史』 303-304頁
- ^ 『青山学院九十年史』 411-413頁
- ^ 『青山学院九十年史』 429-430頁
参考文献
- 青山学院 『青山学院九十年史』 1965年
- 『日本キリスト教歴史大事典』 教文館、1988年
- 武内博編 『来日西洋人名事典』 日外アソシエーツ、1995年
外部リンク