作曲家として同時代から最高の評価を受けており、ダウランドは『エア集 第2巻』(1600年)の第1曲《僕は見た、あの人が泣くのを》(I saw my lady weepe )をホルボーンに献呈している。ホルボーンは自著の題扉で「エリザベス女王に仕えている」と述べているが、1590年代には外交使節の一員として、王室秘書官の初代ソールズベリー伯ロバート・セシルの宮廷にも勤めていた。ホルボーンの庇護者は、ペンブローク伯夫人で作家のメアリ・スミスであった。
1599年に『ヴァイオルもしくはヴァイオリン属と管楽器のためのパヴァン集、ガリアード集、アルメーン集ならびにエア集』(Pavans, Galliards, Almains and other short Aeirs, both grave and light, in five parts, for Viols, Violins or other Musicall Winde Instruments )を出版する。これは65曲の自作を含んでおり、16世紀に出版された舞曲集としては最大規模を誇る。パヴァン(パヴァーヌ)とガリアード(ガリアルド)を対にした組曲が大半を占め、残りの単体の舞曲がアルメーン(アルマンド)になっている。舞曲に分類できない単独の小品(近代的に言うなら、さしずめ性格的小品)も含まれている。このような小品は、しばしば意味深長で、または幻想的で、ときに滑稽な曲名が付けられている。このような中には、流行歌や劇のための挿入歌など、今となっては原型を辿ることができなくなった当時のイングランドの歌謡曲の編曲も含まれていると推測されている。