アルブレヒト2世 (Albrecht II., 1318年 - 1379年 2月18日 )は、メクレンブルク=シュヴェリーン 公 (在位:1352年 - 1379年)。スウェーデン 王 も兼ねたアルブレクト の父。また、北欧三国(カルマル同盟 )の君主を兼ねたエーリク・ア・ポンメルン の曾祖父でもある。父はメクレンブルク侯ハインリヒ2世 、母はザクセン=ヴィッテンベルク公アルブレヒト2世 の娘アンナ[ 1] 。
生涯
1329年 、父ハインリヒ2世の死に伴い、領土を弟のヨハン1世 と共に相続、1348年 に神聖ローマ皇帝 カール4世 によって公爵に昇叙され、1352年に領土を分割、ヨハン1世にシュタルガルト を分与(メクレンブルク=シュタルガルト公国)、自らはメクレンブルクの広大な西部地域を保持し、1358年 にシュヴェリーン 一帯を獲得した後はシュヴェリーンを公爵の居所とした[ 1] 。
1335年 4月に、スウェーデン王女エウフェミア と結婚した[ 1] 。彼女の父はスウェーデン王マグヌス3世 の次男エリク・マグヌソン 、母はノルウェー 王 ホーコン5世 の娘インゲビョルグ であり、兄マグヌス4世 はその縁で両国の王に即位した。アルブレヒト2世もこの姻戚関係を元にスカンディナヴィア半島 に地歩を築き、1362年 にデンマーク 王 ヴァルデマー4世 の長女インゲボーと長男のハインリヒ と結婚させた[ 1] 。2人の間にアルブレヒト 、マリア 等の孫が生まれたが、マリアは1380年 にポンメルン公 ヴラティスラフ7世と結婚、エーリク を生む事になる。
一方、スウェーデンではマグヌス4世がスウェーデン貴族の争いに敗れ1364年 に退位した。マグヌス4世には次男にホーコン6世 がいたが(長男のエリク12世 は既に死亡している)、貴族達は彼の即位を阻止すべくアルブレヒト2世の同名の次男(スウェーデン名アルブレクト )をスウェーデン王に選出した[ 2] 。
1379年に死去した。それから10年後の1389年 にアルブレクトはデンマーク軍に敗れて廃位され、エーリクが1397年 に即位する事になる。
家族
エウフェミア・アヴ・スヴェーリエ (1317年 - 1370年)との間に5人の子を儲けた。
ハインリヒ3世 (1337年 - 1383年) - デンマーク王ヴァルデマー4世 の娘インゲボーと結婚。娘マリア は北欧三国の王となったエーリク・ア・ポンメルン(エーリク7世 )の母。
アルブレヒト3世 (1338年 - 1412年) - スウェーデン王(1364年 - 1389年)
インゲボルク(1340年 - 1395年) - ブランデンブルク 選帝侯 ルートヴィヒ3世 と結婚。死別後はホルシュタイン=レンズブルク伯 ハインリヒ2世と再婚。
アンナ(1343年 - 1415年) - ホルシュタイン=キール伯 アドルフ9世と結婚。
マグヌス1世 (1345年 - 1384年)
エウフェミアの死後、1378年3月5日にアーデルハイト・フォン・ホーエンシュタイン(? - 1380年)と再婚したが、子は無かった[ 1] 。
脚注
^ a b c d e Ludwig Fromm (1875). "Albrecht II. ". Allgemeine Deutsche Biographie (ドイツ語). Vol. 1. Leipzig: Duncker & Humblot. pp. 271–273.
^ Friedrich Oelgarte (1903). Die Herrschaft der Meklenburger in Schweden . Jahrbücher des Vereins für mecklenburgische Geschichte und Altertumskunde. pp. 2–70
参考文献