この項目では、プロレスラーについて説明しています。アメリカ合衆国のミュージシャンについては「マイス・パレード 」をご覧ください。
アダム・ピアース (Adam Pearce 、1978年 6月24日 - )は、アメリカ合衆国 のプロレスラー 。カリフォルニア州 サンディエゴ 出身。
来歴
少年時代にはアメリカンフットボール や野球 などのスポーツに明け暮れていたが、コンパートメント症候群 を患っていたこともあり、手術を受けたことにより激しい運動をすることができなくなってしまった。1995年 、リハビリをしていた期間にプロレス のトレーナーであるソニー・ロジャース とランディ・リッチ に出会ったことからプロレスラーになることを決意[ 1] 。
1996年 5月16日、地元の高校で開催された大会にてプロレスラーデビューを果たす。以降、ウィスコンシン やミルウォーキー を拠点とするインディー団体を転戦。1997年 にはアダム・オブライエン (Adam O'Brien )のリングネーム でWWF に参戦し、主にジョバーとして活動した。プロレスの技術を向上させるためにエース・スティール とダニー・ドミニオン が主宰するスティール・ドメイン・トレーニングセンター の一期生として入門。2000年 にはWCW へ入団する機会が訪れるも内容が二転三転していくうちにプロレスへの情熱を失い始めたと感じプロレスを休業することになった[ 1] 。
2001年 、プロレスに復帰し、PWG (Pro Wrestling Guerrilla)やUPW(Ultimate Pro Wrestling)といったカリフォルニアを拠点するインディー団体を中心に活動。
2004年 、メキシコ のXLUM(Xtreme Latin Universal Wrestling)に参戦。2005年 には新日本プロレス がロサンゼルス にて主宰している新日本ロス道場 へトレーニングに出向いていたことから来日する機会が訪れ来日。公開トライアウトという名目で5月14日、NEXESS のダークマッチに出場してジョージ・カストロ と対戦した。
同年7月、ROH に参戦したことをきっかけにジム・コルネット より勧誘を受けて定期参戦することになる。2006年 にはコルネットよりコミッショナー代理として任命され、CZW との対抗戦にROH代表の一人として出場するなど活躍した。
ROHと並行してNWA に加盟している団体へ参戦し、2007年 6月よりTNA からNWAへと返還されたNWA世界ヘビー級王座 争奪トーナメントであるReclaiming the Glory に出場。準決勝でブライアン・ダニエルソン に敗戦するもダニエルソンが負傷欠場することになったために代役として決勝に出場し、9月にブレント・オルブライト と対戦して勝利。NWA世界ヘビー級王者となった[ 2] 。オルブライトとはこの決勝戦での対決をきっかけに因縁が生まれ、NWA加盟団体やROHで抗争が展開された。
以降、ROHでは2010年 よりブッカーとして活動し、NWAでは2012年 までにNWA世界ヘビー級王座を5度獲得するなど活躍。
2013年 3月28日、TNA のガットチェックマッチに出場し、マグノ と対戦して勝利するが、契約するまでに至らなかった[ 3] 。
2014年 12月21日、CWH(Championship Wrestling Hollywood)にてコルト・カバナ との対戦を最後にレスラーとして引退を発表[ 4] 。それまで特別トレーナーとしてNXT で不定期勤務していたが、常勤体制になるとみられる。
2019年 辺りからRAWとスマックダウンの現場責任者に就任している。たびたびスキットに登場している。
得意技
バックブリーカーの体形からパワーボムへと移行する。
獲得タイトル
NWA世界ヘビー級王者時代
NWA
PWG
IWAミッドサウス
他、アメリカのインディー団体を中心に多数のタイトルを獲得。
入場曲
Walk
Skeletons of Society
Free Bird
Black Betty(Remix)
Prelude to a Bludgeoning
脚注
外部リンク